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青木村のじかん

18歳まで大分→東京に21年→2016年3月から長野県青木村へIターン移住。どうなることやら!

リフォーム1(減築)

リフォーム

久しぶりの投稿です。

 

家は、中古住宅を購入しました。
前に投稿した「中古住宅を探せ!」に書きそびれていた4軒目の家です。
村の中心部に近い便利な立地にあるセブンイレブンまで徒歩で行ける!)
昭和40年代に建てられた日本家屋でした。

 

そのままでも住もうと思えば住めますが、
明らかに耐用年数が過ぎているところがいくつかあったので、
リフォーム工事をすることにしました。

 

工事をお願いする工務店はネットで探しました。
HPがちゃんとしている、
自社で大工さんを抱えている、
そして木や漆喰などの天然素材を生かした家を建てている、
といった点に好感を持ち、
上田市内にある「西沢祐(にしざわゆう)工務店」に依頼しました。
ほとんど勘というズサンな選び方でしたが、結果、すばらしい出会いになりました。

 

この家は、購入したときは「2階建て+平屋増築」という建物でした。
リフォームプランを検討しているときにふと、「2階って取れるんですか?」と聞いてみました。
内心「ないよねー」と思いつつ……。
あっさり「減築というかたちでできますよ」ということで、「ないない」と思っていた話が現実味を帯びてきました。

 

お金は余分にかかりますが、
瓦が耐用年数を過ぎていて屋根の葺き替えは必須だし、
2階のリフォームで頭を抱えており(傷みがひどく使い道も思いつかず)
2階がなくなることで耐震補強工事が軽くなるというメリットもあり、
踏み切ることにしました。

 

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ビフォー……

 

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アフター!

 

2階を解体しているところを見せてもらいました。
2階部分の大事な柱に、この家を建てた棟梁の名前が墨書されているのが見えました。

 

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ケルトン! 大きなクレーンも出張ってきていました。

 

出た廃材は薪ストーブの燃料としてありがたく使わせていただくことにして、家の裏手にキープしてもらいました。

 

平屋になると見た目も家事動線的にもすっきりしますね。
掃除などで2階に上がる必要もないし、
階段から落ちる心配もしなくて済みます。

 

そんなわけで、2階を取るというあまりやらない工事をやったことで、
村内では「あの2階を取っちゃったおうちね!」と認識されることになりました。

 

家って思ってたより何でもできるんだな。

 

 

 

 

 

長野の家はなぜ寒い?

信州あるある

中古住宅を内覧し、周囲にある築数十年の家々を観察していて、
ひとつふしぎに思うことがありました。

 

それは、これほどの寒冷地なのに、家に断熱材が入っていないこと。
そして、開口部が大きくて数も多いこと。
「家の作りやうは、夏をむねとすべし」な家が多いのです。

北海道ほどではありませんが、長野県も冬が長くてかなり寒いです。
なのに、家はむしろ夏仕様。 
なぜだろう……?


そんなとき、たまたまテレビを見ていたら、タイムリーなテーマを扱っていました。
「1月の室内の平均気温が日本一低いのは何県?」
ほほう。


1位は……

 

 

 

 

 




長野県!


えーっ!? これから住むんですけど……!


主な理由は
・冬は寒いが、夏もそれなりに日中の気温が上がるため、家が夏仕様になっている。
・暖房はこたつと石油ストーブだけ、が標準
だそうです。


夏もそれなりに暑いのは、たしかに。
暖房がミニマムなのは、ひとえに長野の人が我慢強いということでしょうか。
長野県はゴミを出す量が全国一少ないそうで、
「生活の美徳」のようなものが根付いている土地なのかもしれませんね。


ちなみに、2位はわが故郷、大分県でした。
これにも「えーっ!?」と言いつつ、思い当たるフシが。


大分は九州なのでさぞ暖かいだろうと思われがちですが、冬は普通に寒いです。
雪が降るといった抒情的な風景も楽しみもまったくなく、
ただただ寒風が吹きすさんで寒いだけ。
当時の実家は古かったので冬は本当に寒く、心底いやでした。


それに、大分の人には「赤猫根性」というものがあるのだとか。(これは初耳!)
ようはケチ、ということのようです。
だから暖房はすぐ切ってしまう。


さらに言うと、大分では贈答品として毛布を贈る習慣があります。
だから、たいていの家には毛布がたくさんあります。(うちもご他聞に漏れず……)
そういうことも室内温度が低くなる一因のようです。


そんなわけで、なぞがとけました。


とはいえ、昭和40年代以前は、
断熱材は全国的に見ても標準仕様ではなかったのかもしれませんね。


シックハウスなどの新しい問題はあるものの、
昔の人からしたら腰を抜かしそうなほど、今の家は快適にできています。


そこらへんの話は、またあらためて。

中古住宅を探せ!

移住

村営住宅の空きを待ちつつ、
とりあえずは中古住宅を探してみることにしました。


夫がネットなどで見つけてきたもの、
役場の空き家バンクで紹介してもらったものなど、
都合4軒内覧しました。

 

1軒目は沓掛温泉にある(村内には温泉が2つあるのです)中古住宅。
傷みが激しいのと、すぐ後ろに山肌が迫っているのが気になりました。
雨の日に見たのもよくなかったかもしれません。

 

2軒目は田沢温泉近くの三角屋根の家。
ここは贅沢にもぶどう畑つきです。
東京に住む人が別荘として建てたそうで
それなりに凝った造りでしたが、いかんせん古いのと、
傾斜地で背後に2メートルほどの崖を背負っていて
湿気が大いに気になりました。
テレビのリフォーム番組ではありませんが、
いったんスケルトンにまでしないと厳しい感じです。

 

3軒目は村の中心部に近い、いわゆる古民家。
かなり大きくて、2階はかつて養蚕をやっていたとか。
土地も広く、これは家や庭の手入れだけで毎日が終わりそう……。
水回りはもちろん、家は全体的にかなり手を入れないと厳しい感じで、
資金が潤沢にあって(もしくは長期のDIYをコツコツやる気力)
「ぜひとも古民家に住みたい!」という情熱がないと
難しい物件だと感じました。

 

わが家は、家自体が古い分にはあまり気にしていませんでした。
もちろん、傷みが激しすぎるとリフォーム代が新築よりかさむのできびしいですが、
一部リフォームで回復可能なら、
人の家を住み継ぐのは悪くない、いや、おもしろそうだと考えていました。


役場の方は、
空き家はたくさんあるのだけれど、
家の中につめこまれている代々の家財道具の処分が難しくて、
あるいは家の補修がたいへんで、
貸したり売ったりがなかなか進まない、
とおっしゃっていました。

 

家財道具の処分は、たしかに大変です。
まず、家族の中で意見が分かれるでしょう。
夫と妻で、親と子で、
「これは捨てたい」「いや、だめだ」となることは想像に難くありません。

 

捨てるところまでこぎつけても、処分の手間とお金はバカになりません。
青木村は粗大ごみの回収は春と秋の年2回だけ。
それ以外は上田市の廃品回収業者にお願いするしかありません。
都会では考えられない量になることも多く(たんすだけで何棹も、とか)、
気軽に処分できる感じではないようです。

 

この50年ほどで、家に求めるもの、そしてライフスタイル自体が
ずいぶん変わってしまったのだな……としばし黙考。
そもそも、
核家族でIターン移住するということ自体が、昔はありえなかったのでしょうね。

家をどうしよう

移住

青木村への移住前提で、
家探し、小学校の入学前の保護者会などのために、
月1~2回、青木村へ通うようになりました。

 

家はまず村営住宅(賃貸)を考えました。
が、当時は空きがなく、期待薄。

 

とはいえ、いきなり家を買うのはやはり勇気がいります。

 

わたしたちがあっさり青木村への移住を決めたのは、
「どうしても合わなければ、また別の場所を探せばいいさ」
という気持ちがあったからです。
移住は人生の一大決心ですが、
同時にそれくらい気楽な気持ちもないと
前に進めないという実感がありました。

 

そんなこともあり、家を買うのには二の足を踏んでいたのでした。

 

それに、村内には専門の不動産屋がありません。
役場の人に聞いてみると、ある設備会社が不動産仲介的なこともやっているとのこと。

 

たしかに、人口5000人弱の村で、
不動産業が成り立つほどの物件数やニーズはないかもしれませんね。
家の売買・貸借は、コミュニティのなかで相対で取引成立してしまいそうです。

 

教育長が
「もし、とりあえず上田市に家を借りることになっても、
青木小学校へ入学できるようにしますから」
と約束してくださったことは、とても心強かったです。

 

とはいえ、村営住宅はすべて立派な造りの戸建てで、
賃料もかなり安いらしく、魅力的です。
半年以内に空くといいね……と言いながら、
いちばんの問題である住処をどうするか、頭を悩ませることになりました。

 

 

災い転じて……?

移住

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写真:青木村の診療所外観。クラシカルなおもむきある建物です。

 

初めて青木村へ行ったとき、わたしの弟こうちゃんもいっしょでした。

 

教育委員会をあとにしたら、ちょうどお昼時です。

 

青木村は「タチアカネ」という独自のそばの品種があり、
村内にそば屋さんが数軒あります。


せっかくだからとそのうちの1軒に入り、
そばがきの天ぷらやもりそばなどをおいしくいただきました。

 

食べ終わって「さて行こうか」とこうちゃんの顔をふと見たら……。

 

たらこくちびるになっているではありませんか。

 

あれ? もしかしてアレルギー?

 

今までそばアレルギーなどなったことのないこうちゃん、
ばっちり当たってしまったようです。

 

急ぎ、村内の診療所へ向かいました。

 

レトロなレンガ造りの建物。
いつからここにあるのだろう。

 

先生は御年80は超えていらっしゃるであろうご高齢。
ちゃきちゃきしたベテラン看護師さんが仕切っています。

 

とりあえず、抗ヒスタミン剤を点滴してショック状態を止めることに。
時間がかかるので、こうちゃんを置いて村内を見て回ることにしました。

 

とはいえ、子ども3人連れであちこち回るのは限界があります。


そこで向かったのが小学校のそばにある児童センターでした。
赤ちゃんから18歳までの子どもなら開館中はいつでもどうぞ、
というふれこみだったので、
子どもらを放牧するのにいいかと行ってみたのでした。

 

とつぜんおとずれたわたしたちを、あたたかく迎えてくれました。
職員の方も、そして小学生たちも!
下の子が双子ということでめずらしいのか、
小学2年生の女の子たちがずっと相手をしてくれます。

 

ちょうど放課後で、大勢の小学生たちがところ狭しとかけまわっていました。
児童数約260名の小学校の、じつに100名ほどが毎日遊びにくるんだとか。

 

おっと、棚の上に乗ったりしてけっこうきわどい感じで遊んでいますね。
でも、職員の方は何も言いません。

 

こういうとき、
あれはダメ、これもダメと言われがちな最近の子どもたちですが、
ここはどうもそうではなさそう。


ほんとうにあぶないとき、これはまずいというときしか
口を出さない方針のようです。
職員の方も「意外に深刻なケガはしないんですよ」とおっしゃっていた通り、
むやみに遊びを制限しないことで、
危険回避能力がいつの間にか身についているのかもしれません。

 

それにしても、ここの子どもたちは、垣根がない!
すっと人の心に入ってきて、なんて素直なんでしょう。
わたしは静かに感動していました。


ますます、心は青木村へかたむきます。

 

結局この日、青木村をあとにしたのは日が落ちてからでしたが、
こうちゃんの思わぬトラブルのおかげで
青木村をより知ることができたのでした。

こうちゃんにとっては災難以外の何物でもなかったわけですが……。
おまけに、看護師さんに
「タバコやめないから、こういうことになるんだっ」
とぴしゃりと言われていました。
こうちゃんには気の毒でしたが、看護師さんがあまりにきっぱり言うので
おかしくて笑ってしまったのはここだけの話です。

 

ちなみに、こうちゃんの現住所(当時)を見た診療所の先生、
「戦前はわたしもここに住んでいた」と。

建物だけでなく、先生の歴史も感じさせるひとことでした。

決めた!

移住

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上:青木村の教育方針。比較的地に足の着いた内容という印象です。

 

ただ行くだけでは情報が得られないだろうということで、
事前に夫が役場にアポイントを取ってくれていました。
役場には移住関係の担当者がいるようです。
(あいにく当日は担当者が出張でいなかったため、別の方が対応してくださいました)

 

青木村は移住者を受け入れることに比較的前向きです。
空き家バンクは2015年に本格始動し、
しっかりした体制はこれからではありますが、
すでに移住している人もちらほらいるとのこと。

 

対応してくださった方ご自身も、一度名古屋に出てUターンしたそうで、
移住者の心情に寄り添ってくれる感じでした。
厳しいことははっきり言ってくれて
(プロとして農家を営むのは厳しいですよ、とか)
そういう点もふくめてこれはナカナカ好感触……。

 

移住希望者に媚びるわけでもなく、突き放すわけでもなく。
とてもニュートラルでした。

 

東京で暮らしていた文京区の職員の官僚ぶり(そうでない方ももちろんいましたよ)
がほとほとイヤになっていたわれわれとしては、
こんなにもふつうのやりとりができることにまず感動。

 

ひと通り話をして、
「子ども小学校や保育園のことを伺いたいのですが……」と切り出すと、
「じゃあ、これから教育委員会に行きましょうか」とこともなげに言います。

 

えっ、これから? ノーアポだけどだいじょうぶ?

 

即電話してくださって、車で5分。
教育長以下みなさんににこやかにお出迎えいただき、肩の力がぬけました。

 

そして、教育長直々に青木村の教育について熱く、
かつ簡潔にお話くださいました。
(この場合、「熱く、かつ冗長に」となりがちなところ、ほんとうに簡潔で感動)

 

青木村は教育に力を入れていることがよく伝わってきました。
村内に保育園・小学校・中学校がひとつずつしかなく、
「保小中一貫教育」と銘打って子どもを村全体で見る、
という気概にあふれています。
実際に「村の子は村で育てる」「子育てするなら青木村
というかけ声が説得力をもって使われているようです。

 

受験に勝てる子、エリートを育てたいという意味の熱心さではなく、
昔から言われているような生活習慣(早寝、早起き、朝ごはん的な)を大事にしたい、
地域の人が教育現場に積極的に入っていく、
という意味での熱心さです。

 

また、幼いうちから体づくりにも力を入れているのは、
うちの考え方とも合うなと感じました。
体は幼いときにどれだけ動かしたかである程度決まりますから……。

 

さらに、
教育委員会に10年前に東京から移住されてきた方がいらっしゃって、
移住者視点のお話を伺うことができたのも収穫でした。

 

おもしろかったのは、
ご近所さんがいつの間にかうちの中のことをいろいろ知っている、
ということでした。
わたしも田舎で生まれ育ったので、
そこらへんの感じはよくわかります。
転校生の一挙手一投足が気になるのといっしょで、
みなさん、見ていないようでほんとうによく見ているのです。

 

というと監視社会風に聞こえますが、そういうわけではなく、
「好奇心+気にかけてくれる」というニュアンスです。

 

実際に、
その方のお子さんが学校から帰って家に入れないでいたとき
(誰もいなくて鍵がかかっていたそうです)
ご近所さんが「おうちの人が帰ってくるまで、うちにおいで」と声をかけて
家にあげて、おやつを食べさせてくださったそうです。

(うちも移住後、
ご近所さんのほどよい距離感のおつきあいに
大いに助けていただくことになります)

 

そんなわけで、
青木村初訪問でいきなりいろいろ収穫があり、
夫ともども大きな手ごたえを感じて帰京したのでした。

 

移住先はじっくり決めるものと思い込んでいましたが、
このときはわたしも夫も、

 

「なんだかここ以外に考えられない、これはもう青木村にしぼって考えよう!」

 

というのがいちばん無理のない流れだと確信していました。

 

ひとめぼれ、のようなドラマティックさはありません。
たとえば安曇野のようなわかりやすい魅力にあふれているわけではないですし、
地味といえば地味です。

 

でもそこがいいというか……。
「嫌な部分がない」というのが大きかったのだと思います。

 

なぜ青木村?

移住

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上:移住のあいさつ状のために描いた地図。大河ドラマ真田丸」テイストで。

 

移住する、移住したというとまず聞かれるのは、

「なぜ青木村?」

ということです。

 

そりゃそうですよね。わたしの実家は大分県、夫の実家は愛知県なのですから。
わたしも1年前に聞いたのがじつに初めてでした。

 

このブログのアイコンでも使っていますが、青木村の位置は上の地図の通りです。

 

移住したいという漠然とした思いはもう何年も前からあり、
旅行で行った島根県鳥取県滋賀県信楽
そしてわたしの実家がある大分県や九州などもぼんやり考えていました。

 

九州出身のわたしにとっては、
食習慣や風土などは西日本のほうが「水が合う」ように感じていました。
(この点、夫とは温度差がありました)

 

ただ、いかんせん東京から子どもらを抱えて
何度も往復してまわるのは現実的ではありません。
年に2回行ければ御の字という状況でした。

 

ひるがえって夫は、
軽井沢から上田にかけて土地勘がありました。
仕事の関係でよく通っていたようです。

 

長野で移住というと、安曇野や松本、伊那のあたりが人気のようですが、
当時は東京まで遠距離通勤する可能性も考えていたため、
それができる範囲でということで上田のあたりで考えることに。

しかし、上田市は長野第三の都市だけあって広く、
どこに住むのがいいのか皆目見当がつきません。

 

そんなとき、夫が地図をながめていて見つけたのが青木村でした。

 

上田市のとなりにあるこの青木村とは、なんぞや?

 

「ネットで検索してもあまり情報が出てこないから、一度行ってみない?」
と夫に誘われたわたしは二つ返事で「行こう行こう」。

 

興味が持てること限定ですが、
フットワークの軽さはこんなとき役に立ちます。

 

そして、2015年6月、青木村にはじめて足を踏み入れたのでした。